原晋監督(青学)の奥さんはカリスマ寮母?妻の名前や経歴&名言も!

第85回箱根駅伝(2009年)で33年振りの箱根駅伝出場を果たし、第91回箱根駅伝(2015年)で初めて総合優勝の栄冠を手にした青山学院大学。

その後も箱根駅伝を始めとして、出雲駅伝や全日本大学駅伝でも数々の好成績を残し、駅伝といえば青山学院大学という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。

ここまで青山学院大学を最強チームへと導いたのは、2004年に監督に就任した原晋(はら すすむ)監督です。

 

原晋監督はどのようにして、強い青山学院大学を作り上げてきたのでしょうか?

その秘密は、一風変わった原晋監督の経歴にヒントが隠されていたようです。

 

また、青山学院大学陸上競技部、町田寮の「寮母」を務めているのは原晋監督の奥様で、「カリスマ寮母」としても知られているんですよ。

そんな、原晋監督の奥様はどんな名前なのか、どんな人柄なのかちょっと気になるところです。

そこでここでは、原晋監督の意外な経歴や原晋監督が残した名言、そして原晋監督の奥様について迫ってみたいと思います。

 

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原晋監督(青学)の奥さんはカリスマ寮母?妻の名前は?

 

青山学院大学陸上競技部、町田寮の「カリスマ寮母」こと、原晋監督の奥さんの名前は原美穂(はら みほ)さんと言います。

広島県出身で1967年生まれの美穂さんは、1993年に当時中国電力で営業マンだった原晋監督と結婚。

原晋監督が青山学院大学陸上競技部の監督に就任したと同時に、町田寮の寮母になりました。

原晋監督と共にチーム作りに取り組んだ美穂さんは、チームにとっても欠かせない存在となっていきます。

 

子供が好きで、幼稚園や小学校の先生になりたかったという美穂さんですが、原晋監督との間に子供はいないようです。

それなのに、いきなり大学生の男子の世話をするということに、最初は戸惑いもあったということで、苦労や苦悩も絶えなかったことでしょう。

陸上競技の経験もなく、結婚してからは専業主婦だったという美穂さんは、寮母としては生活の部分でサポートしていこうと毎日が必死だったと言います。

前任者がいない中、ゼロからのスタートというのは、とても大変だったのではないかなと思います。

選手たちに対しては時に厳しく叱ることもあるそうですが、美穂さんが選手たちの恋愛相談の相手になったり、美穂さんの誕生日には選手たちがエプロンをプレゼントしたりと、選手たちとの関係もとても良いようです。

 

また、ご主人である原晋さんに監督の話が持ち込まれた時には、反対しても無駄だと分かっていながら反対し続けて、「反対して反対して行かせた方が、夫も強い覚悟ができる。」と冷静に判断したという美穂さん。

美穂さん自身の芯の強さや冷静に物事を判断できる性格が、これまで選手や監督を支えてきた大きな力となっていたのでしょう。

参考 青山学院大学陸上競技部 町田寮 寮母 原 美穂さんTAMATEBAKO-NET EDITING

 

 

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青山学院大学の原晋監督の出身中学などプロフィールと経歴は?

 

それでは次に、青山学院大学、原晋監督のプロフィールと経歴についてご紹介したいと思います。

原晋(はら すすむ)監督は、広島県三原市出身、1967年3月8日生まれ。

小学校の頃から野球や相撲などスポーツが得意だった原晋監督ですが、小学4年生の時に事故に遭い、足を骨折して入院することになってしまいました。

しかし、この怪我のリハビリを兼ねてジョギングを始めたことが、陸上への興味を持つきっかけと言われています。

まさに、怪我の功名かもしれませんね。

 

中学に入学すると、陸上部に所属して長距離を始めた原晋監督は、中学1年生のマラソン大会で上級生を抑えて、なんと学校内で1位を取ってしまったんです。

その頃から陸上のセンスがあったのかもしれませんね。

 

高校は駅伝の強豪とも言われる世羅高校に進学。

高校3年生の時には主将として全国高校駅伝に出場、世羅高校は2位という成績を収め、原晋監督もチームに大きく貢献しました。

 

大学は世羅高校のOBが監督を務めていたという中京大学へ。

大学3年生の時に出場した日本インカレ5000mでは、3位入賞。

 

大学を卒業した1989年、地元に戻った原晋監督は中国電力に入社。

中国電力では陸上競技部の創設に参加、1993年には主将となり中部電力初の全日本実業団駅伝出場に導きました。

しかし、入社1年目に足を故障したことが響き、残念ながら入社5年目には陸上の選手生活を終えることとなってしまいました。

このとき原晋監督はまだ27歳。

もう少し現役で走りたいという気持ちもあったかもしれませんね。

 

陸上選手の現役を辞めてからの10年間は、中国電力でサラリーマン生活を送りました。

そして配属された山口県徳山市(現在の周南市)の営業所では、省エネ空調設備「エコアイス」を販売。

すると、なんと売り上げ社内ナンバーワンを獲得!

当時の原晋監督は、「伝説の営業マン」とも呼ばれていたそうですよ。

陸上でもトップを極め、営業でもトップを極めるなんて、本当に凄いですよね。

 

そんな営業マンに、青山学院大学陸上競技部監督へのオファーが舞い込んできました。

最初に監督の依頼を受けていたのは、原晋監督の後輩(青山学院大学OB)だったのですが、彼は今の仕事を辞める気はないということから、原晋監督に話が回ってきたということだったんです。

こういう縁というか運命の巡り逢わせを持っている人って、世の中にはいるんですよね。

 

すでに結婚をしてマイホームを持っていた原晋監督でしたが、原晋監督が得意とする提案型の営業スタイルは電力会社としては主流ではなく、また、出世に関しても疑問を持っていたことや陸上選手としてやりきれなかった後悔もあったことから、「もう一度陸上界で頂点を目指そう」と思い、監督になることを引き受けたのだそうです。

しかし、広島から東京への移住するにあたって原晋監督の奥様は、なかなか首を縦には振りませんでした。

今までの生活を離れて、全く違う環境に身を置くことになるのですから、即断できないのも無理ありませんよね。

ようやく奥様の理解を得た原晋監督は、夫婦で東京に赴任、選手と共に寮に住みながらの指導生活が始まりました。

 

2004年に青山学院大学陸上競技部監督に就任した原晋監督は、しばらく箱根駅伝の舞台から遠ざかっていた青山学院大学に、「3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」という長期にかけてのビジョンを打ち出しました。

しかし、就任3年目、箱根駅伝の予選会で16位となり予選落ち、幹部からは「話が違うではないか」と責められ、長距離部は廃部寸前に。

それでも目標にひた進んできた道のりを振り返ってみると、「5年目に箱根駅伝初出場、6年目にシード権獲得、11年目に初優勝」と、見事にチームを作り上げてきたことが分かります。

選手たちに自己管理を徹底させることから始めた指導は徐々に浸透していき、選手自ら目標を立てて取り組むといった、原晋監督がサラリーマン時代に身に付けたノウハウがチームに大きな変化をもたらしました。

目標を定めて、自ら考え行動するというのは、スポーツでもビジネスマンでも同じだという原晋監督の考えが、功を奏したと言っても過言ではないでしょう。

参考 原晋Wikipedia

 

東海大学の両角 速(もろずみ はやし)監督に関してはこちら

両角速(東海大)監督の息子は野球選手?箱根駅伝選手時代からの経歴は?

 

原晋監督の名言や著書とは?

 

それでは最後に、原晋監督の名言と著書についてご紹介したいと思います。

まず、原晋監督の名言はこちら。

【原晋監督の名言】

・指導の信念は「人間として、男として自立させること」

・「人は暗い所からは力は出ない。全て明るさから始まる。」

・「”チャラい”は、ほめ言葉」

・「監督の言うことをそのまま聞くような選手には興味がない」

【青山学院大学 陸上部のスローガン】

・2015年度「ワクワク大作戦」

・2016年度「ハッピー大作戦」

・2017年度「サンキュー大作戦」

・2018年度「ハーモニー大作戦」

 

いかがですか?

とても独特でユニークだと思いませんか?

言葉の力というものを重視していると言う原晋監督は、選手たちにも言葉の力について指導をしているそうです。

自ら目標を立てて「やる」と言うことでモチベーションが上がり、結果にも繋がるとのこと。

日頃からそうした実践をしているせいか、青山学院大学の選手のインタビューはとてもしっかりしているとも言われています。

ちゃんと自分が何を目標としているかが明確に分かっているからこそ、言葉に表すことができるのでしょうね。

 

また、スポーツ雑誌のインタビューよると、原晋監督は「中継所で彼女が待ってるんだろ!区間賞くらい取っていけ!」と走行中の選手に激を飛ばしたこともあったのだとか。

選手目線でかつ選手の原動力とも受け取れるその言葉のセンスに脱帽です。

 

箱根駅伝は全国的に放送されているので、全国大会だと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、関東学生陸上競技連盟が主催する大会なので、関東にある大学にしか出場する権利がない、いわば、地方大会なんです。

こうした背景もあることから、「箱根駅伝を全国大会に」ということも提案している原晋監督。

現在の出場校に加えて10校を全国から出場できるようにすれば、野球やサッカーのような少年チームが増えて地域活性化や競技人口の増加にもつながるのではないか、という考えのようです。

他にも、箱根駅伝のルールで廃止になってしまった監督自らが選手に水を手渡しすることを再び可能にすることや、高校・大学・実業団の対抗駅伝を行ったらどうかなど、原晋監督は多くの提案を発信しています。

もし、近い将来に箱根駅伝が地方大会ではなく全国大会になれば、「箱根駅伝を全国大会に」という言葉も、名言の一つになること間違いありませんね。

参考 青学・原監督が「言葉の力」を重視するワケ東洋経済新報社

 

次に、原晋監督の著書をご紹介しましょう。

 

【原晋監督の著書】

・勝ち続ける理由

・人を育て 組織を鍛え 成功を呼び込む 勝利への哲学157~原晋 魂の語録

・フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉

・逆転のメソッド 箱根駅伝もビジネスも一緒です

・魔法をかける アオガク「箱根駅伝」制覇までの4000日

 

伝説の営業マンというだけあって、箱根駅伝ファンのみならず、その内容はビジネスマンが読んでも興味深く、中国電力時代の話はビジネスマンにとってもとても参考になるという口コミもありました。

また、読みやすいという声が多いのも、人気の秘訣なのではないかと思います。

ここでご紹介したものの他にも執筆されている著書がありますので、興味のある方は是非検索して、手にしてみてはいかがでしょうか?

 

中央大学の藤原正和監督に関してはこちら

原晋監督(青学)の奥さんはカリスマ寮母?妻の名前や経歴&名言も!

 

原晋監督とカリスマ寮母の奥さんまとめ

 

中京大学のランナーだった原晋監督は、関東の大学だけで行われる箱根駅伝には全く興味がなかったのだそうです。

だからこそ、「箱根駅伝を全国に」という言葉が出てきたのかもしれませんね。

サラリーマンとして実績が原晋監督の自身にもなり、選手たちの指導にも役立っているのだと感じました。

いつの日か、選手の中から監督になる人が育ってくれたら、という美穂さんの夢も叶うと良いなと思います。

 

青山学院大学の小野田勇次選手に関してはこちら

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