田中刑事と羽生結弦と日野龍樹は同期で昔から仲良し?名前の由来も

日本のフィギュアスケーター、男子シングルの田中刑事選手のことをご存知でしょうか?

20歳でシニアデビューを果たし、23歳で平昌オリンピックに出場した田中刑事選手は、173㎝という長身を生かしたダイナミックなジャンプが特徴です。

そして、田中刑事選手の演技から醸し出される色気にも、多くの女性ファンが魅了されているようです。

そんな田中刑事選手ですが、あの羽生結弦選手や日野龍樹選手と同期で仲が良いという噂は本当なのでしょうか?

それに、刑事っていう漢字も珍しいですよね?

そこでここでは、田中刑事選手と仲が良いという羽生結弦選手と日野龍樹選手との関係性と、名前の由来について調べてみました。

また、田中刑事選手のプロフィールと経歴についても、合わせてご紹介していきたいと思います。

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田中刑事と羽生結弦と日野龍樹は同期で昔から仲良し?

 

それではまず、田中刑事選手と羽生結弦選手、そして日野龍樹選手の3人について見ていきたいと思います。

実はこの3人、同学年で昔からとっても仲が良いとのこと。

過去の写真を検索してみたのですが、とっても幼い3人が楽しそうに写っている写真もあり、昔から仲が良いというのは本当のようです。

2005年、2006年、2007年の全日本フィギュアスケートノービス選手権大会では、3年連続で3人が表彰台を独占するなど、当時から切磋琢磨していた様子も伺えますね。

羽生結弦選手が一足先に世界のトップスケーターの仲間入りを果たしたということもあって、田中刑事選手は日野龍樹選手と一緒に成長してきたという感覚があると話します。

2016年に行われたNHK杯では、怪我のために出場することができなくなった山本草太選手に代わって、日野龍樹選手が出場。

すでに大会にエントリーしていた田中刑事選手と羽生結弦選手と共に戦うことになりました。

NHK杯は日本で開催される大会ということもあって、田中刑事選手と羽生結弦選手、そして日野龍樹選手が同学年ということがメディアでも多く取り上げられるようになったんですね。

物心を知っているという安心感からか、田中刑事選手と日野龍樹選手と一緒にいる羽生結弦選手の表情は、いつもとは違うリラックスした様子だったように感じました。

この3人が顔を合わせた2016年のNHK杯終了後の様子が、田中刑事選手のTwitterにアップされていますので、ぜひご覧になってみてくださいね。

参考 田中刑事 keiji tanakaTwitter

 

2017年に、3人でピコ太郎のPPAPポーズもキメていた写真が個人的に気に入っているのですが、仲良しなのが伝わりますよね。

 

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田中刑事選手の名前の由来や経歴&演技の魅力も!

 

それでは次に、田中刑事選手のプロフィールと経歴について見ていきたいと思います。

【名前】田中刑事(たなか けいじ)

【生年月日】1994年11月22日

【出身地】岡山県倉敷市

【出身校】岡山理科大学付属高校→倉敷芸術科学大学→同大学大学院

【所属】倉敷芸術科学大学

 

【経歴】

田中刑事選手がスケートを始めたのは7歳の頃、お母さんと一緒に地元のスケートリンクに行ったことがきっかけと言われています。

尊敬しているスケーターは、高橋大輔さんと町田樹さん。

そして気になる「刑事」という名前の由来なんですが、正義感の強い子に育ってほしいというご両親の願いが込められているのだそうです。

田中刑事選手曰く、「覚えられやすい名前ではあるけれど、悪さはできない名前だと思う。」ということ。

また、お父さんは日本人なのですが、お母さんが台湾人ということで、田中刑事選手はハーフだったんですね!

 

それではここで、田中刑事選手の主な成績について振り返ってみましょう。

●ノービス時代

2005-2006シーズン

全日本フィギュアスケートノービス選手権銅メダル

2006-2007シーズン

全日本フィギュアスケートノービス選手権銀メダル

2007-2008シーズン

全日本フィギュアスケートノービス選手権銀メダル

エイゴンチャレンジ杯ノービスクラス金メダル

 

●ジュニア時代

2008-2009シーズン

全日本ジュニア選手権6位

2009-2010シーズン

第65回国民体育大会少年男子の部金メダル

全日本ジュニア選手権6位、全日本選手権8位

2010-2011シーズン

ジュニアグランプリシリーズブラショフ杯銅メダル、世界ジュニア選手権銀メダル

2011-2012シーズン

ジュニアグランプリシリーズ:ブリスベン銀メダル、オーストリア銅メダル、ジュニアグランプリファイナル6位

全日本ジュニア選手権銀メダル、全日本選手権7位、世界ジュニア選手権7位

2012-2013シーズン

ジュニアグランプリシリーズ:レークプラシッド銀メダル、S.ブレッド杯4位、ジュニアグランプリファイナル6位

全日本ジュニア選手権銅メダル、全日本選手権7位

2013-2014シーズン

ジュニアグランプリシリーズ2戦ともに金メダル、ジュニアグランプリファイナル4位

全日本ジュニア選手権金メダル、全日本選手権8位、世界ジュニア選手権7位

トリグラフ杯銀メダル

 

●2014-2015シーズンよりシニアへ移行

2014-2015シーズン

ニース杯銅メダル、ガルデナスプリング杯銀メダル、全日本選手権8位

2015-2016シーズン

アジアフィギュア杯銀メダル、USクラシック銀メダル

全日本選手権4位、四大陸選手権6位

2016-2017シーズン

アジアフィギュア杯金メダル、ユニバーシアード銀メダル

グランプリシリーズNHK杯銅メダル、全日本選手権銀メダル

2017-2018シーズン

アジアフィギュア杯金メダル、全日本選手権銀メダル、四大陸選手権4位

平昌オリンピック18位、世界選手権13位

 

【田中刑事選手の演技の魅力は?】

フィギュアスケートの男子シングルでは、世界の選手層も厚く、4回転ジャンプを2種類しか跳ぶことのできない田中刑事選手の存在は、ちょっと影を潜めている印象が大きいかもしれません。

ですが、173㎝という長身を生かしたダイナミックなジャンプが魅力で、独特の色気も持ち合わせている選手なんです。

2016年、2017年の全日本選手権では羽生結弦選手が欠場していたとはいえ、2年連続で銀メダルを獲得していますし、田中刑事選手の実力は確かであることが分かります。

ステップやスピンなどでも、最高難度のレベル4を獲得できることもありますが、レベル3のジャッジを受けることもしばしば。

4回転ジャンプを跳べる種類を増やしたり、ステップやスピンでのレベルの取りこぼしを無くすことができれば、もっと得点が伸びてくる選手なのではないかと期待しています。

 

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田中刑事選手は町田樹選手(現役引退)とも仲がいい?

 

それでは最後に、2014年に惜しまれつつ引退された町田樹さんと田中刑事選手の関係について見ていきたいと思います。

田中刑事選手があこがれの選手としても名前を挙げている町田樹さんですが、幼いころから同じ試合に出る機会も多かったり、練習風景も良く見ていたりしていて、町田樹さんとはよく会っていたのだそうです。

ずっと近くで見てきた選手が、シニアに上がり、グランプリシリーズでもメダルを獲得する成績を残し、ついにはオリンピックへの切符を掴んだその姿にとても感動したという田中刑事選手。

自分の進む道を町田樹さんに見せてもらった、そんな印象を持ったのかもしれませんね。

町田樹さんが引退を発表した2014年の全日本選手権の後も、車で一緒に帰ったという仲の良い二人。

町田樹さんからは、直接アドバイスをされたということはなく、田中刑事選手が町田樹さんの練習姿や立ち振る舞いを見て学んだことが多いのだそうです。

町田樹さんのようになるには、まだまだ足りないと話す田中刑事選手、自身も平昌オリンピックを経験したことで、より強い思いが芽生えたのではないでしょうか。

15歳や16歳という若さでシニアへ移行する選手が多い中、19歳までジュニアで経験を積み、シニアのグランプリシリーズ、そしてオリンピックに出場した田中刑事選手の姿を見ている次世代の選手も多いはず。

田中刑事選手には、これまでの経験に自信を持って、さらに強くたくましくなって欲しいなと思います。

参考 平昌五輪に向けて躍進する22歳「1年後どの舞台に立てるのかは自分次第」キャノン・ワールドフィギュアスケートウェブ

 

田中刑事選手まとめ

 

日本のフィギュアスケーター、田中刑事選手についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

ジュニアの頃から全日本選手権に出場していた田中刑事選手ですが、「刑事」という名前は確かに印象強くて、全日本選手権には毎年出ている選手だなと思っていました。

そんな選手がシニアでも活躍するようになって、オリンピック代表選手に選ばれたときは、私もとても嬉しかったです。

初めてのオリンピックではミスが相次ぎ、本来の力が発揮できなかったかもしれませんが、その悔しさを糧に、さらに飛躍してほしいと思います。

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